吾々人間が放されたいことから起る本能のやうに強い欲求だ。實際また雪ぐらゐ此の威力のすばらしい表現はなからう。暖國人種たる諸君も大自然の威力なら知つてゐると、胸をそらして言ひ放す人があるかも知れないが、諸君の出逢ふそれなぞは、一寸考へまはして貰ひたい、幸福の絶頂か、大自然の氣まぐれ藝當かの二つに過ぎぬ。
熱帶だつてその暑さのために焦殺《やきころ》されたといふ人はなく、却てそこの植物の豪奢な繁茂のもとに、禁慾と瞑想の樂しい宗教が生れた。一方自然がそこに示す威力の氣まぐれとしては、洪水、惡疫、毒蟲がある。だが何だそれは? 大自然がそれで人間の造營物を壞し、人間を屠る下から、ただちに同じぐらゐの旺盛な力で人間を殖やしてくれ、香ひの高い光澤に富む生活資料をバラ撒くではないか。
雪はさうではない。一年のうちきまつて一定季節のもとに降り出し、地球の殆ど半ばを白く凍らせる。それは毎年規則ただしく、嚴格に、必然にやつてくる。世界はこの季節の間、北に向つて進むかぎり、どこまで行つても白いもののほか見るよしもない寂寞とした、單調な、人間にとつて極限までも無力なる死の擴がりである。この決定的なる必然さと無
前へ
次へ
全43ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福士 幸次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング