なぜなら漢字は聲音を無視して成つた觀念上だけの指表、即ち目じるしに外ならないからである。○音表文字も觀念の指表たるに止まる場合がある。事實また音表文字も萬國音表文字さへ聲音の完全な寫眞ではない。だが上海英語、英領植民地英語を在來の英語綴字法で記述しても、そこに何等かの土地の臭味を現し得、また桃山時代出版の伊曾保物語平家物語の歐字本がその時代生活を現してゐる。○言葉は國の手形である。そして生活の事實上の運搬をなす。○聲音に不注意な在來日本人は地方語なるものに至つて無自覺である。例へば東北のズウズウ辯と言ふごときも東北地方にはズウズウ音の分布は、何ぞ計らん東京の御膝下の茨城地方に始つて、會津地方を通じ、仙臺山形地方に北上してゐるのに止まり、南部、秋田、津輕の三地方には痕跡がないのである。この點東北のズウズウなる通り言葉は意味をなさない。○これに反し東北には他の地方にない正確な音、例へば「ハ」と「フワ」、「ガ」(喉音)と「ンガ」(鼻音)の如きも明瞭に區別する。東北有名の「シ」と「ス」の混同の樣なのも、實は混同ではなくてそのどちらにも屬せぬ一音 si である。日本語には昔シとスの區別がなかつた
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