が、雪はここへ來て以來本降りになつて、もの凄いくらゐ降りこめた。二十年この方睡つてゐたわたしの本能は目ざめて、身體に言ひ知れぬ力が漲つてきた。雪國の人間は雪を見ると氣が張つてくる。わたしはストーヴに足を突き出しながら、故郷の最初の夜の感銘を思ひふけつてゐた。妻はストーヴ前のベンチに腰かけて居睡つてゐた。ひろ子は毛布に厚くくるまれて、父の故郷の土地で最初の熟睡をしてゐた。待合室には他《ほか》に人がゐず、ストーヴの石炭だけが赤い焔を吐いて、遠方の風のやうな音を立てて勢ひよく燃えてゐた。
[#地から1字上げ]大正十三年六月十七日・津輕碇ヶ關にて

  土地の愛

 林檎畑のなかの路を夜十二時過ぎにとほる。廣い畑地《はたち》で、星闇のしたに林檎の樹が、收穫後の裸の影を無數に踊らせてゐる。だが果物畑といふものは、今の樣に果《このみ》が一つもない時候になつたつて、また今夜のやうに樹の姿がそれとしか闇のなかに見えなくなつて、すがすがしい氣持がするものだ。
 わたしはそこでどんな遲い晩でも、この廣い果物畑《くだものばたけ》を三四町眞直ぐに突つ切つて、途中家と言へば林檎の番小屋に毛を生やしたやうな、百姓
前へ 次へ
全43ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福士 幸次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング