磯を離れて半丁ばかりのところに、屏風のやうに屹立した斷崖の上には、もう秋の口らしい蜩が鳴いてゐた。これはまだ郷里の中學にゐた頃、ひと夏その地方の西海岸を廻つた時の印象であつた。
二十の年には、その頃もう東京に來てゐた時分だが、夏の眞盛り時、房州海岸を半月あまり旅をして、北日本海の海とはまるで違つてゐる、緑の濃い、明色《めいしよく》な太平洋の海を椿の樹々《きぎ》のあひだから眺めた。
だが日本海と格別ちがつたこの冬《ふゆ》眞中《まなか》にさへ暖かく明るい大洋も、あのわたしが三十何年まへ山裾の城下|市《まち》から、十何里はなれた港へゆく途中、うまれて初めて見た耀《かがや》かしいばかり綺麗な、濃青《こあを》な海の色あひには及ばない。その時の汽船が北海道通ひの船だといふことを知つたのも、それはも少し年とつてからである。蒸汽といふものだといふことを知つたのも、あとでのことである。更にそれが海といふものであるといふことも、まだ齒のやつと生えかけたばかりのその時のわたしには、わかつてゐたことでは無い。ただわたしはそれを沙漠のなかの映像ででもあるかのやうに、一生涯わすれ得ない美しい極彩圖、この世に生
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