ないくらゐ、薄い細かい吹雪が彼の邊に吹き廻つて、それが、霧のなびいてゐるやうに見えるのであらうと、わたしは其のテーブルクロースの隅々に目を走らせてゆく。連脈のうへに一と際《きは》高い山が上部は密雲のなかに塞《とざ》したまま、鼠色な腹を示しはじめた。この地方名うての靈山岩木山だなと、わたしは心のなかで合點《うな》づいた。餘り寒い景色なので別に感興も起らない。ただ雲のしたに現はれた裾ひろがりの鋭いスカイ・ラインをぢつと見まもる……
「私にも見せて頂戴、よう、よう」
と今年|四歳《よつつ》になる長女が、妻のベンチから鼻聲を鳴らしてゐる。
「駄目、駄目。寒い風がピウピウ吹いてるんだよ。」
「いやいや。見るう。ひろ子も見るう」と足をバタバタやつてゐる。
わたしは窓を離れて妻のベンチの處へ行つた。汽車は終驛が近いので、上野驛以來の乘合客も大半降りてしまつて、車内はわたし等夫婦親子の專有かのやうに、廣くガランとしてゐる。ベンチの凭れ板の列と、默りこくつてゐる些少の乘合客の頭とを越して、車室の突き當りに掛つてゐる掲示板が見透しになつて居り、窓外の險しい景色とは打つて變つて、ここは其處らの窓に蠅でも唸つてゐないかと思はれるくらゐ、ひつそりして暖かくうん氣[#「うん氣」に傍点]ざしてゐる。
妻はうしろ向きになつて、昨夜からベンチに敷詰めの毛布をこまめに疊んでゐる。
「貴方どう。もう弘前が見えて」
「いや未だ仲々」
「支度は皆《みんな》出來たわ」
「さうかい」
わたしは窓外の景色に少し興が覺めてぼんやり答へた。この汽車を降りたら直ぐ寒暖計が一遍に二十度も落ちるやうな、外氣のなかにさらされるのだと思ひながらその前屈みになつてゐる妻の後姿をぢつと見た。
彼女は肥つてゐる上に思切り着物を着込み、その上に當歳の赤ン坊をネンネコで負《おんぶ》してゐるから、いつもより餘程膨大された恰好になつてゐた。傍には私等の鞄や信玄袋や風呂敷包でベンチが一つ盛り上つてゐた。
「でも岩木山が見え出したよ」
「ぢやもう市《まち》が直きなんでせう」
「それが家ひとつ、人つ子ひとり見えないんだよ」
わたしは例の遠くの森や林を流れる薄い霧を目に浮べた。
「父ちやん、わたしにも見せて」と長女が再び手を差しだして延びあがる。
「よし父ちやんの故郷を見ろ。えらい處だぞ」と、わたしは毛糸づくめの洋服で之れも着膨れた
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