んぼろんとピアノの音色がをどりだす
路にしみる日暮がたの寒むさよ
身にしみるピアノの音色よ
私はそろそろ黒い林の多い
冬の旅仕度を思ひ始めた
PROMENADE. ――十一月二十五日
私はいま波をおさへてゐる
その波の底には薄蒼《うすあを》い灯影《ほかげ》の町が沈んでゐる
私は今ひとりたどる
柳の樹の下道を
でこぼこ柔い煉化道は
私の胸がをどるトーン程に
さらさらと心の隅から隅へ消えて行く柳の枝は
私の興奮した顏を撫でる夜風ほどに
唯だいそいそと足どりもの昏く
薄蒼《うすあを》いガラスの灯影とまた闇の中にわかれ
私のからにふる空手は
もうあの柔い手を握りしめてゐる
あの心をきうきうきゆつと捉《つかま》へてゐる
友情 ――十一月
ゴールデンバツトを吸ひながら
僕は日の暮れ方の倉庫街を思ひ出した
赤く金《きん》をかすつた斷《ちぎ》れ雲が
空いつぱいに光つて居る
一群《ひとむれ》の屋根草は同じ色に染つて光つてゐる
河沿ひの倉庫は一列になつて
掘割りの水深く落ちてゐる
その水はいつも流れず
いつも淀まず
むねもあらはにさらけ出して
冷たい嘆きをうつしてゐる
僕はそのあと二た月の間
死身《しにみ》になつて心を鞭つた
襲ひくる薄はだの寒さに
つねに氷のゆめをつくつた
日陰の鳥は羽ばたきして
つらい牢屋のゆめをつくつた
今こそ僕の肉體は
惡熱を病んで居る
肌身はなさず或る人の肉體を
つねに戀ひしたうて慄へてゐる
常にせぐりあげる慕ひ泣く聲を
肌に耳あてて聞いてゐる
ここにまことの愛があつた
いつも流れず
いつも淀まず
むねもあらはにさらけ出して
互に惡熱にふれあふ愛があつた
日の子 ――十二月十二日
※[#ローマ数字1、1−13−21]
僕はこれが美しいと一生言へぬかもしれない
愛するものも愛すると言へなくて仕舞ふかもしれない
有難いといふことも有難いと言へなくて仕舞ふかもしれない
それで僕の一生が終るかもしれない
※[#ローマ数字2、1−13−22]
ああしかし見えた、見えた
空中のうつくしい光が
あれあれ誕生だ、産聲だ
石も動く
木も物いふ
死顏した月に紅《べに》がさして
日になる日になる
目をくりくりさせる
鳥がさへづる
木がものいふ
闇をふき消す
世が新たになる
※[#ローマ数字3、1−13−23]
あれあれ
光がふえてゆく、力が増してゆく
ふらふら昇つて
落ちさうで落ちない
日は空中を昇つてゆく
だんだん呼吸《いき》をはずまして
勢ひ込んで昇つてゆく
※[#ローマ数字4、1−13−24]
ああこの中に吾が愛子よ
ああこの中に吾が愛子よ
お前はまじまじ何を見てゐる
お前はおどおど何を怖がつてゐる
自然はいつでもいちやついてゐる
自然はいつでもとりとめなく生きてゆく
けれども其處にまことの彼があるのだ
それに逆つて泣いててはいけない
泣顏《なきがほ》あらはに進んでゆけ
泣きの涙でもよい進んでゆけ
恐怖を歡喜にかへて胸ををどらせろ
深く深く自然を愛しながら進め
ますます勇氣を振ひ起して進め
お前は日の子だ
冬が來ても決していぢけない
科學もいいもので文明もいいものだ
自然はいつでも宏量で
いつでも機嫌《きげん》よくわけてくれる
自然は人間を可愛がつてゐる
わけ隔てなく誰へも彼れへもわけてくれる
決して自然を僕等が征服するの何のと大きな口をきくな
そんなことをいふから人間は墮落する
自分で自分の舌を噛んでゐる
永い事、永いこと怖い夢を見て暮らしてゐる
悲しくつらい所をたどつてゐる
※[#ローマ数字5、1−13−25]
私の愛子よ
日の子の一人よ
人間は皆墮落して
闇い嘆きの根を地におろしてゐる
またそれだけ枝葉を高く茂らしてゐる
しみじみとまがりくねつて生きてゐる
恐しい夢にうなされながら
地獄の鐘をたたいてゐる
※[#ローマ数字6、1−13−26]
それだけ闇を吹消《ふきけ》す愛がいるのだ
それだけ愛の清水《しみづ》が涌かねばならない
闇の業火《ごふくわ》を淨めなければならない
はやく出れば出る程よく
はやく迸れば迸る程よい
強く光つていやな光を吹消《ふきけ》すのだ
お前の力でお前の生命《いのち》から
強く烈しい白光《びやくくわう》を放すのだ
※[#ローマ数字7、1−13−27]
それがライフの力だ
お前の愛の力だ
どこまで行つても果しなく光れ
世界は決して闇くない
ただ人々の光が足りないのだ
お前は日の子だ
自然兒だ
また文明兒だ
自然が血をわけて育てたいとし子だ
かくし子だ
自然を愛するものに
自然はどこまでも力をくれる
味つても味ひきれない程
深い生命《いのち》をくれる
まことの力を感じ
まことの涙をながし
まことの底に突き當り
まことの生命《いのち》に生きろ
そのほかお前に何も言ふことはない
沈默だ
太陽崇拜
[#天から4字下げ]來るべき詩人よ、來るべき雄辯者よ
[#地から2字上げ]ワルト・ホイツトマン
[#地から2字上げ]大正二年作
ボヘミアンの歌 ――七月八日
嵐は過ぎた
洪水は過ぎた
唯だ流れてゆくのは河の泥水ばかりだ
土堤《どて》の柳の樹は
すんだ滴《しづく》をたらしてゐる
砂は踏むたびにぐさりぐさりとつぶやく
土堤《どて》のくび根までだぶりだぶりと浸して流れる大河
だぶりだぶりと兩側の岸を浸して
流れる大河
おおこの空に高く飛ぶ燕の群れよ
何處《いづこ》をさして行くとも知れない燕の群れよ
僕は君等を見る時親しい憧《あこが》れを感ずる
そのぺちやくちやしやべり交して行く聲を聽くと
つい可笑しくなつて笑ひ出してしまふ
自分はボヘミアンだ
けれども人生の底から根ざしてゐる愛がある
はてしない際涯《さいがい》は自分のラヴアだ
昨日のあの嵐の名殘りで白く崩れる
河口の波は
人氣《ひとげ》もないそのあたりの葦《あし》の茂《しげ》みは
愛するものの睡つてゐるたのしい處だ
自分はそこに棲家《すみか》を見出《みいだ》す
おお河尻《かはじり》よ
限りもなくつづいてゐる砂原であれ
おおそこから見える海よ
限りもなく廣いをやみない動搖《どうえう》であれ
自分はそのまだ見ない處に
小踊りしながら進む
嵐のあとの何人《なんぴと》も踏まない土堤《どて》の上を
はにかむやうなあたりの景色に溺れながら
だぶりだぶりと鳴る響きのよい
水音を聽きながら
あらし ――七月十九日
何人《なんぴと》も感じない
このボヘミアンの心
すぐれた饑《う》ゑを感じながら
歩くのである
ふきつのる夜明け方の嵐に
自分は涙を感じる
ぐるりの林は狂亂してるからだ
頭《あたま》ごなしにざわだつて
西と東に吹き廻されるからだ
自分はこの涙ある力を
いつぱいに感じながら
歩いて行くのである
すぐれた饑《う》ゑを感じながら
あるいて行くのである
自分のものにする女に送る歌 ――七月廿一日
私は君を戀してゐる
何故《なぜ》とも知らないけれど
自分は君に牽引《けんいん》を感ずる
君は馬鹿だ
盲目である
けれども君には純《じゆん》な魂がある
君は自分でそれを知らない
君は斯くして亡びてしまふのである
もつと生かすべきものを生かさないで
墓のまはりの草のやうに
いつか花しぼみ
みきは固くなり
年老いた女の乳房《ちぶさ》のやうに
堅《かた》い實を結んで終《をは》つてしまふのである
自分は斯くの如く君を輕蔑《けいべつ》してゐる
吾が眼に見える美しい魂から
君のこの後《ご》の一生を見とほすのである
そしてそれに今たとしへない生のふた路を考へるのである
自分の愛は斯くの如くして君をまづしく生きる事をゆるさない
自分はもつと燃えるべきことを欲してゐる
自分はそれだけ君のとろけるやうな肉體に
體感的《たいかんてき》な愛に燃えてゐる
斯くの如く吾れを動かす君に
力強い牽引《けんいん》を感ずる
君はどうかは知らないけれども
君は自分に深いものを與へてゐる
自分のなすことに一々君の裏書《うらがき》がある
やき印《いん》がある
背中あはせのやうにこの年月過したので
君が斯くばかり自分に深かつたとは知るまいが
斯くばかり深いものが他にどこにあらう
自分はこれをむざむざ埋めてしまふに堪へられるだらうか
世界は斯くして平面である
廣い原野に日がひとつ
ぽかりと白く光つてゐる
唯だそれのみだ
聲がない
自分の君を慕《した》ふ心は
斯くの如き沈默には堪へられない
自分は睡つても體内の血はめぐつてゐる
自分は死んでもその血は滯《とどこ》つてゐる
すべて血である
自分はこの血の何もなさぬことに堪へられない
血はやれやれやれと
脈管を痙攣的《けいれんてき》にめぐつてゐるのだ
ぶつかれぶつかれぶつかれと
めぐつてゐるのだ
ああこの血よこの血よ
純《じゆん》なるものの最も純なるものよ
自分は君にぶつかつて
この血を愛の肥料《こやし》にしようと思ふ
ああ吾が胸に潜む黄金の十字架は
斯くして君の胸の中で明かなものになる
ああ十字架を感ずる
君の胸の中にである
千百人の美しい子供の魂を集めて
それを君の乳で育ててやる微妙な光や氣は
君の胸の中で生きてゐるのだ
斯くの如く君を深く見得た人はどこにある
世界三界さがしても
斯くの如く洞察し得た聖者はどこにある
神罰を恐れよ
君よ
この深い人間の根に從へ
原人時代の人間の根に從へ
原人時代の人間から將來の人間に到るまでも
深く人類に根ざしてゐるこの地下層の清水《しみづ》を飮《の》め
斯くして君は幸福なのだ
あらゆる君のこじれた心が濕ふのだ
そして美しい自然を深く汲み分けられるのだ
ああ君の手を握るべき吾れよ
君の心をやがて捕ふべき吾れよ
願はくは君の手さきのみで
君全身の魂を掴《つか》め
願はくは君の最奧の心の底に入れ
斯うして微笑するのだ
どれくらゐ深いかわからない微笑
自分は斯くして君の萬事に入り
君の一とつぶ種の靈魂にふれて
わが身を君の一體にするのだ
わがなす生命の種《たね》の力は
はにかんでゐる君の美しい肉體に種まかれるので
初めて香《にほひ》あり音あり色ある
高いリズムある花が生れるのだ
ああはにかめ
はにかめ
この燃えてゐる私の愛の火から遠《とほざ》かれ
その高い煤《すす》まじりの焔《ほのほ》をもつと嫌《いや》がれ怖《こは》いと思へ
私は君が無心な心に立ちかへつて睡つてゐるとき
君をもつとも自然に
みぢんも危ぶなげもなく
吾が手のなかの寶玉として見せる
その運命を吾が眼の前につくつて見せる
それまで君を人のものにして預けて置く
君を今の人に預けて置く
それまでも感ずる自分の心は
君の内をひらかぬことはない
いつかはその底を掴んで吾がものとするだらう
自分の心ではさう思ひながら
だんだん自分は肥つてゆくのだ
先きから先きへとのびて行くのだ
根強く人間の魂を感じながら
男の仕事をやつて行くのだ
ああ LOVE よ ――八月九日
ああ Love《ラブ》 よ
君よ
君は僕をひきしめる
かなり苦しい箍《たが》だ
苦しいたがだ
君は今人の所にゐる
みもちにまでなつてゐる
それでも自分は
君を思ふことはやまない
君は僕が戀してる事は知つてるだらう
けれどもこれ位苦しんでゐることは知るまい
この心持は解るまい
月日もたつから消えてることと思つてるだらうが
自分の Love はちつとも消えない
そして何もない空中をひた走りに走るのだ
意志はそれだけ苦しいのだ
そして手をさしのべてゐるのだ
さしのべて日中の星を掴まうとしてゐるのだ
ああその星はどこに輝いてゐる
見えるは一面に白い空ばかりだ
まつぴるまの空だ
君の影はどこにもない
このぼんやりしたものの中に
身體《からだ》を投げ出しながら
自分はどんどん産むだけのものを産んで行く
産んで産んで産み飛ばすのだ
君よ
君は一時人のものになつて居れ
自分は一時その運命を悲しむが
すこしもまゐらない
自分は出すだけのものを出して行く内に
いつか君をつかまへてやる
自分
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