つと生かすべきものを生かさないで
墓のまはりの草のやうに
いつか花しぼみ
みきは固くなり
年老いた女の乳房《ちぶさ》のやうに
堅《かた》い實を結んで終《をは》つてしまふのである

自分は斯くの如く君を輕蔑《けいべつ》してゐる
吾が眼に見える美しい魂から
君のこの後《ご》の一生を見とほすのである
そしてそれに今たとしへない生のふた路を考へるのである

自分の愛は斯くの如くして君をまづしく生きる事をゆるさない
自分はもつと燃えるべきことを欲してゐる
自分はそれだけ君のとろけるやうな肉體に
體感的《たいかんてき》な愛に燃えてゐる
斯くの如く吾れを動かす君に
力強い牽引《けんいん》を感ずる

君はどうかは知らないけれども
君は自分に深いものを與へてゐる
自分のなすことに一々君の裏書《うらがき》がある
やき印《いん》がある
背中あはせのやうにこの年月過したので
君が斯くばかり自分に深かつたとは知るまいが
斯くばかり深いものが他にどこにあらう
自分はこれをむざむざ埋めてしまふに堪へられるだらうか
世界は斯くして平面である
廣い原野に日がひとつ
ぽかりと白く光つてゐる
唯だそれのみだ
聲がない

自分の君を慕《した》ふ心は
斯くの如き沈默には堪へられない
自分は睡つても體内の血はめぐつてゐる
自分は死んでもその血は滯《とどこ》つてゐる
すべて血である
自分はこの血の何もなさぬことに堪へられない
血はやれやれやれと
脈管を痙攣的《けいれんてき》にめぐつてゐるのだ
ぶつかれぶつかれぶつかれと
めぐつてゐるのだ

ああこの血よこの血よ
純《じゆん》なるものの最も純なるものよ
自分は君にぶつかつて
この血を愛の肥料《こやし》にしようと思ふ
ああ吾が胸に潜む黄金の十字架は
斯くして君の胸の中で明かなものになる
ああ十字架を感ずる
君の胸の中にである
千百人の美しい子供の魂を集めて
それを君の乳で育ててやる微妙な光や氣は
君の胸の中で生きてゐるのだ

斯くの如く君を深く見得た人はどこにある
世界三界さがしても
斯くの如く洞察し得た聖者はどこにある
神罰を恐れよ
君よ
この深い人間の根に從へ
原人時代の人間の根に從へ
原人時代の人間から將來の人間に到るまでも
深く人類に根ざしてゐるこの地下層の清水《しみづ》を飮《の》め
斯くして君は幸福なのだ
あらゆる君のこじれた心が濕ふのだ
そして美しい自然を深く汲み分けられるのだ

ああ君の手を握るべき吾れよ
君の心をやがて捕ふべき吾れよ
願はくは君の手さきのみで
君全身の魂を掴《つか》め
願はくは君の最奧の心の底に入れ
斯うして微笑するのだ
どれくらゐ深いかわからない微笑
自分は斯くして君の萬事に入り
君の一とつぶ種の靈魂にふれて
わが身を君の一體にするのだ
わがなす生命の種《たね》の力は
はにかんでゐる君の美しい肉體に種まかれるので
初めて香《にほひ》あり音あり色ある
高いリズムある花が生れるのだ
ああはにかめ
はにかめ
この燃えてゐる私の愛の火から遠《とほざ》かれ
その高い煤《すす》まじりの焔《ほのほ》をもつと嫌《いや》がれ怖《こは》いと思へ
私は君が無心な心に立ちかへつて睡つてゐるとき
君をもつとも自然に
みぢんも危ぶなげもなく
吾が手のなかの寶玉として見せる
その運命を吾が眼の前につくつて見せる
それまで君を人のものにして預けて置く
君を今の人に預けて置く
それまでも感ずる自分の心は
君の内をひらかぬことはない
いつかはその底を掴んで吾がものとするだらう
自分の心ではさう思ひながら
だんだん自分は肥つてゆくのだ
先きから先きへとのびて行くのだ
根強く人間の魂を感じながら
男の仕事をやつて行くのだ

  ああ LOVE よ ――八月九日

ああ Love《ラブ》 よ
君よ
君は僕をひきしめる
かなり苦しい箍《たが》だ
苦しいたがだ
君は今人の所にゐる
みもちにまでなつてゐる
それでも自分は
君を思ふことはやまない

君は僕が戀してる事は知つてるだらう
けれどもこれ位苦しんでゐることは知るまい
この心持は解るまい
月日もたつから消えてることと思つてるだらうが
自分の Love はちつとも消えない
そして何もない空中をひた走りに走るのだ
意志はそれだけ苦しいのだ
そして手をさしのべてゐるのだ
さしのべて日中の星を掴まうとしてゐるのだ
ああその星はどこに輝いてゐる
見えるは一面に白い空ばかりだ
まつぴるまの空だ
君の影はどこにもない

このぼんやりしたものの中に
身體《からだ》を投げ出しながら
自分はどんどん産むだけのものを産んで行く
産んで産んで産み飛ばすのだ
君よ
君は一時人のものになつて居れ
自分は一時その運命を悲しむが
すこしもまゐらない
自分は出すだけのものを出して行く内に
いつか君をつかまへてやる
自分
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