番目の燈明《とうみやう》に火をともし
七番目の女の死骸を鞭つた

そして八番目の打下《うちおろ》しにがつかりと力がぬけて
神へ悲しい哀訴《あいそ》の手をあげた

身體《からだ》は浮上るやうに淨《きよ》くかろくなり
眞黒な錦襴の帷《とばり》は九番目の祕密を垂らした

夢に照るらしい月夜はその中に薄青くけむつてゐる
星は覺束なげに天にひかつてゐる

十番目の吐息《といき》をすると
古めかしい記憶がしんとして行つた

十一番目の火をともすと
月光はおぼろげな火陰《ほかげ》を搖《ゆら》めかした

十二番目の大理石像の背後《うしろ》には
私にいきうつしの老人が俯向《うつむ》けに倒れてゐる

眞白にしをれた薔薇は
うろ覺えの記憶をにほはしてゆく

十三番目の空中には
一つの棺《ひつぎ》が星雲《せいうん》のやうに浮いてゐる

悲しい一生の悔恨《くい》や悲嘆《なげき》や追憶《つゐおく》は
其處に匿れて齒がみしてゐる

捉へがたい鎖《くさり》になげいて
私は十四番目の哀訴の手をあげた

  智慧の實を食べてより ――七月二十四日

栗の樹の下を歩けば
ふかい落葉の中に
君の吐息《といき》たち
わたしの吐息たち
何處で鳴くともしれぬ山鳩の聲は
梢に唯だ一つ殘る黒い葉のやうにふるへる

もの寂しく遠吠えする果樹園の番犬《ばんけん》
突然鋭く發射する連發銃の反響
遠い山脈からは雲一つうごかず
遠いあさぎ色の麥畑のそよぎまでも
日は悲しげにしんと照らしてゐる

此の時|堪《こら》へきれないやうに君の暗い影は
空とぶ鴉《からす》のやうに私の胸へ落ちた
手錠のやうに箍《たが》のやうに
おもく呼吸《いき》ぐるしく私の胸を抱きしめた
ああまたしても私等は悔いるのか
あの遠吠をする犬のやうに
罪と苛責《かしやく》に吠えるのか

うらがれ時の果樹園に
しらじらしくもふるへる白い日の光
その薄寒い木立の奧に
犬は悲しげに吠えてゐる

  鍛冶屋のぽかんさん ――七月

梨の花が眞白に咲いたのに
今日もまた降る雪交りの雨
濁り水は早口に鍛冶屋の樋《とひ》へをどり込み
眞裸《まつぱだか》な柳は手放しで青い若葉をぬらしてゐる

此處の息子はぽかんさん
とんてんかんと泣く相鎚《あひづち》に
莓《いちご》の初熟《はつなり》が喰《た》べたいと
鐵碪臺《かなしきだい》を叩《たた》くとさ
手をあつあつとほてらして叩くとさ

ああ、夢ならばさめておくれ
ぽかんさん
此の世の中に多いものは
祕藏息子のやもめ暮らし
時計の針の尖《さき》のやうに
氣の狂《ふ》れやすい生娘《きむすめ》暮らし
この年月の寒暑《あつささむさ》の往來に
私の胸は凋《しぼ》んだ花の皺《しわ》ばかり
私の胸はとりとまりない時候はづれな食氣《くひけ》ばかり

  扇を持つみなしごの娘 ――七月

扇の中にみなしごは
白い虚《うつろ》な眼を閉ぢる
病氣上りの氣のやみに
まぶしく照らす赤い夕日
風にふらふらうごく雛罌粟《ひなげし》
心覺《こころおぼ》えの兩親《ふたおや》が心の何處かにあるやうに
所々《しよしよ》にきらきらと清水《しみづ》が涌く

ああパウルのやうに嚴《いかつ》くて、ペテロのやうにやさしい院長さん
私が此方《こちら》へ初めて來た日には
あのお天日樣《てんとさま》目掛けて飛んでゆく鳥みたいでした
そのくせ夜《よる》になると魘《うなさ》れたり
泣き出したり
知らぬ他國の夢を見て
暗い廊下におびえて居たり……

  すべての友達に送る手紙 ――十一月

覺醒《かくせい》はそれ自身でひとつの誕生だ
ひとつの新しい靈魂の生活だ
私は餘り多くない、併し親みのとりどりに深かつた友達にかう言ひたい
私は今あなた方や、また君達のことを思ふと限りなく深い負債《ふさい》の沼にはまつて行くばかりだ
そして今頃それを言ひ出す程
私のした事はあらゆる冒涜《ばうとく》である
人の心の冒涜である
ああ私はあらゆる淨い氣高《けだか》い土地をかうして今までむだに涜《けが》して來た

今こそ自分自身の魂《たましひ》からもの言はう
私は一時乞食であつた
瞞《かた》りであつた
泥棒であつた
そして苦しく蒼ざめて氣むつかしい
つむじまがりの幽靈であつた
それに欺《だま》されたのが口惜《くや》しかつたら
皆《みんな》で手いつぱいに憎んでくれ給へ
私は人を欺した覺えはないが
自分が未だ生れないのを
生れたと思つた罪がある
そこで冒涜した
人の心を冒涜した

私はこの負債をいつ拂へよう
人に犯したこの罪は
一生ぬぐへまい
私には悲痛な深刻な魂が
今日を覺してゐる
よりどころのない、併し確な一歩が踏みだしてある
今までの死殼《しにがら》を蹴飛ばして
心から出る産聲《うぶごゑ》をあげる處だ
つむじまがりの幽靈は面變《おもがは》りして
あかく灼熱した眼を燃しながら
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