なつた。そして老僕をいたはる心持で微笑んでゐた微笑《ゑみ》が消えてしまつた。この刹那に、スタニスラウスは一同の目が自分の一身に集注してゐるのを感じて、それと同時に自分が奈何《いか》にも老衰して、たよりなくなつてゐるやうに思つた。それは人々の目が兼て自分のぼんやりと感じてゐた「恐怖」をはつきりと現してゐたからである。
 スタニスラウスは一座を見廻した。そして誰かの唇が「ペエテル」と囁いでゐはしないかと懸念した。併し誰一人唇を動かしてゐるものはなかつた。
 スタニスラウスはおそる/\振り返つて見て、精々気を弱らせぬやうにと自ら努力して、口の内で、「こいつ気が変になつてゐるな」と云つた。併し背後にはもう誰もゐなかつた。
 スタニスラウスは平手で二三度狭い額を撫でた。
「どうかなすつたの」と、隣の少佐夫人が云つた。夫人は一座の中で割合に慌てずにゐたのである。
「いや。なに。」スタニスラウスは微かな声で答へた。それから強ひて決心したらしく、膝の上のセルヰエツトを掴んで、皿の側に置いて、両手で卓の縁を押へて身を起した。それから怪しげな足取をして、暗い隅の方へ歩いて行つて、例の小さい卓の側に、腕附き
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