令嬢は徐《しずか》に画家の傍《かたわら》より離れ去る。)ね。何んでもいつもあなたのお傍《そば》にいて、あなたのお目に留らないような人がいるのではございませんか。その人は余りあなたの生活に密接な関係を持っていますので、あたたはそれを家常の茶飯のように思召てお気をお留めあそばさないのではございませんか。よくお考えなすって御覧なさいまし。ね。(徐《しずか》に戸の口に歩み寄り、徐《しずか》に戸を開き、退場。)
画家。(物思いに沈みて凝立すること暫くにして、忽然夢の覚めたるが如き気色《けしき》をなし、四辺《あたり》を見廻す。ようようにして我に返る。)ヘレエネさん。(戸口に走り寄り、荒らかに戸を開け、叫ぶ。)ヘレエネさん。(画家は暫く耳を聳《そばだ》ている。四辺《あたり》はひっそりとして物音無し。画家は再び戸を鎖し、跡に戻り、物を案ずる様《さま》にて部屋の内をあちこち歩き、何かそこらの物を手に取りては置き、また外の物を手に取りては置き、紙巻を一本取りて火を付け、一吸《ひとすい》吸い、忽《たちま》ちそれを投げ捨て、右手の為事机に駈け寄り、慌ただしく物をかき始む。暫くして何事をか口の内にてつぶやき、癇
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