癪《かんしゃく》を起したる様子にて、その紙を引裂く。さて外の紙を取りてかき始め、暫くしてかき止《や》め、またその紙を引裂く。さて暫く空《くう》を睨《にら》みいて、忽ち激しき運動にて両手を顔に覆い、両肱《りょうひじ》を机に突き、死人の如く動かずに坐《すわ》りいる。○暫くありて、戸口よりモデル娘|入《い》り来《きた》る。徐《しずか》にためらいつつ部屋の内に進み、始終物を怖《おそ》るる如く四辺《あたり》を見廻す。娘は片手に伊太利亜種《イタリアだね》の赤き翁草《おきなぐさ》の花の大束を持ち、片手に柑子を盛りたる籠《かご》を持ちいる。さて画家の、己《おの》れの方に背中を向けて、先《さき》の姿勢を取りおるを見付け、驚き、徐《しずか》に。)
モデル。今日《こんち》は。(ひっそりとして物音無し。娘は徐《しずか》に煖炉《だんろ》に歩み寄り、その上なる素焼の瓶《びん》を取りて絵具入の箪笥の上に据え、それに翁草の花を挿す。その間《あいだ》に画家は少し身を動かし、娘を見る。さて立ち上らんとしてまた腰を落し、女のする事を見ている。娘は忽ち画家の己《おの》れを見るに心付き、詞急に。)お休《やすみ》なすったの。(間。)花を持って参りましたの。そしてあの柑子も。
画家。(詞急に。)うむ。好い好い。(立ち上り、歩み寄る。)翁草を買って来たね。お前はその花が好きかい。
モデル。(驚く。)これではいけなかったのですか。
画家。好いとも。(花を二三本取りて、娘の髪に当てがい見る。)お前のブロンドな髪に映りが好いぜ。
モデル。(さっぱりと)そのお嬢さんがわたしの髪とおんなじならようございますが。
画家。(驚きたる顔にて相手を見、さて。)ああ、その事かい。(間。)そんな事はもう忘れていた。己はただこの花を花輪にして、お前の髪に載せたらどんな工合だろうかと思ったのだ。
モデル。(花をいじりつつ。)そうしてかいて見ようと思いなすったの。
画家。まあ、そう思ったとしてな。お前にその花輪を戴《いただ》かせて見た処が、ひどく映りが好かったのだ。そこでかこうと思ったが。
モデル。え。
画家。かこうと思ったが、その時丁度かく気になれなかったとしよう。頭痛か何かするのだな。そうしたらお前はどうするい。
モデル。待っていますわ。
画家。その内に日が暮れてしまって、かけなくなったらどうするい。
モデル。そんならそのあしたまで待ち
前へ
次へ
全41ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
リルケ ライネル・マリア の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング