目だし。
令嬢。いいえ。なんでも宜しゅうございますから言って御覧なさいましよ。
画家。ただ一しょになっていたのだろうというのです。
令嬢。ここにでございますか。
画家。それはここでも好いし、どこか外《ほか》へ行ったら、猶《なお》好いでしょう。あなたのおばさんが喧《やかま》しそうですから。
令嬢。まあ。結婚も致さずに、ただ何がなしに御一しょにいるのでございますね。
画家。そうです。何がなしにです。そら。外の絵かきもやっているでしょう。(令嬢笑う。画家黙りて相手の顔を、何故《なにゆえ》笑うかと問いたげに見る。令嬢いよいよ笑う。)何がそんなに可笑《おか》しいのですか。
令嬢。それでも、そんな風な生活は、もうとっくに因襲になってしまっているじゃあございませんか。
画家。それでも。因襲といったって。
令嬢。ええ、ええ。同じ因襲でも、一般の社会での因襲でなくって、ある狭い仲間内での因襲でございましょう。しかし因襲は因襲でございますから、狭い仲間内の因襲だからと申しましても、特別に好いはずはないではございますまいか。そんな風に致しましたら、わたくしはやっぱり段々に扮装《みなり》なんぞは構わなくなりまして、化粧《おしまい》も致さないようになりますのでございましょう。(画家|呆《あき》れて相手の顔を見おり、さてついに己《おの》れも笑い出《いだ》す。令嬢また笑う。)それ御覧なさいましな。(間。)まあ、お互にこういたして笑っていられます間に、お暇乞《いとまごい》をいたしましょう。
画家。(驚く。)行くのですか。
令嬢。ええ。ただ、今一つ申して置きたい事がございます。どうぞこんな事になりましたのを、おくやみなさらないで下さいまし。もしわたくしの事を思い出して下さいますなら、どうぞ昨晩のような調子にしてお考えあそばして下さいまし。美しい調子に、メロヂイのある調子にしてお思い出しあそばして下さいまし。それだけは是非お願い申して置かなくてはなりません。わたくしの致した事を、もし不断の尺度で、日常生活の尺度で量って下さいましたら、それはわたくしのためにひどい冤罪《えんざい》になるのでございますから。
画家。(令嬢の手を握り、目を見合せ、黙りいる。さて。)どうもこうなれば為様がありません。日常生活の尺度で量っても好いような幸福はないものでしょうか。(手を放す。)
令嬢。そんな幸福を求めようと仰ゃるの
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