というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼《だれかれ》に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故《せい》だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅《か》いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」という言葉が断《き》れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな
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