がい》ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。
 樫鳥《かけす》が何度も身近から飛び出して私を愕《おど》ろかした。道は小暗い谿襞《たにひだ》を廻って、どこまで行っても展望がひらけなかった。このままで日が暮れてしまってはと、私の心は心細さでいっぱいであった。幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちた欅《けやき》や楢《なら》の枝を匍《は》うように渡って行った。
 最後にとうとう谿が姿をあらわした。杉の秀《ほ》が細胞のように密生している遙かな谿! なんというそれは巨大な谿だったろう。遠靄《とおもや》のなかには音もきこえない水も動かない滝が小さく小さく懸っていた。眩暈《めまい》を感じさせるような谿底には丸太を組んだ橇道《そりみち》が寒ざむと白く匍っていた。日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何も聴こえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。
「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、
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