はそれへ乗ってしまったのである。それにしてはなんという不似合いな客であったろう。私はただ村の郵便局まで来て疲れたというばかりの人間に過ぎないのだった。
 日はもう傾いていた。私には何の感想もなかった。ただ私の疲労をまぎらしてゆく快い自動車の動揺ばかりがあった。村の人が背負い網を負って山から帰って来る頃で、見知った顔が何度も自動車を除《よ》けた。そのたび私はだんだん「意志の中ぶらり」に興味を覚えて来た。そして、それはまたそれで、私の疲労をなにか変わった他のものに変えてゆくのだった。やがてその村人にも会わなくなった。自然林が廻った。落日があらわれた。溪《たに》の音が遠くなった。年古《としふ》りた杉の柱廊が続いた。冷たい山気が沁《し》みて来た。魔女の跨《またが》った箒《ほうき》のように、自動車は私を高い空へ運んだ。いったいどこまでゆこうとするのだろう。峠の隧道《すいどう》を出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止めた。そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐《ふ
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