をあらわしある経過を辿って死んでいった。それと同じ徴候がおまえにあらわれている。
 近代科学の使徒の一人が、堯にはじめてそれを告げたとき、彼の拒否する権限もないそのことは、ただ彼が漠然忌み嫌っていたその名称ばかりで、頭がそれを受けつけなかった。もう彼はそれを拒否しない。白い土の石膏の床は彼が黒い土に帰るまでの何年かのために用意されている。そこではもう転輾《てんてん》することさえ許されないのだ。
 夜が更けて夜番の撃柝《げきたく》の音がきこえ出すと、堯は陰鬱な心の底で呟《つぶや》いた。
「おやすみなさい、お母さん」
 撃柝の音は坂や邸の多い堯の家のあたりを、微妙に変わってゆく反響の工合で、それが通ってゆく先ざきを髣髴《ほうふつ》させた。肺の軋《きし》む音だと思っていた杳《はる》かな犬の遠|吠《ぼ》え。――堯には夜番が見える。母の寝姿が見える。もっともっと陰鬱な心の底で彼はまた呟《つぶや》く。
「おやすみなさい、お母さん」

     三

 堯《たかし》は掃除をすました部屋の窓を明け放ち、籐《とう》の寝椅子に休んでいた。と、ジュッジュッという啼き声がしてかなむぐら[#「かなむぐら」に傍点]の垣の蔭に笹鳴《ささな》きの鶯《うぐいす》が見え隠れするのが見えた。
 ジュッ、ジュッ、堯は鎌首をもたげて、口でその啼き声を模《ま》ねながら、小鳥の様子を見ていた。――彼は自家《うち》でカナリヤを飼っていたことがある。
 美しい午前の日光が葉をこぼれている。笹鳴きは口の音に迷わされてはいるが、そんな場合のカナリヤなどのように、機微な感情は現わさなかった。食欲に肥えふとって、なにか堅いチョッキでも着たような恰好をしている。――堯が模《ま》ねをやめると、愛想もなく、下枝の間を渡りながら行ってしまった。
 低地を距《へだ》てて、谷に臨んだ日当りのいいある華族の庭が見えた。黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲団が干してある。――堯はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。
 しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどき[#「つるもどき」に傍点]の赤い実がつややかに露《あら》われているのを見ながら、家の門を出た。
 風もない青空に、黄に化《な》りきった公孫樹《いちょう》は、静かに影を畳んで休ろうていた。白い化粧煉瓦を張った長い塀が、いかにも澄んだ冬の空気を映していた。その下を孫を負《お
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