苦しんでいる。そんなとき、彼の心臓に打った不吉な摶動《はくどう》が、どうして母を眼覚まさないと言い切れよう。
堯《たかし》の弟は脊椎《せきつい》カリエスで死んだ。そして妹の延子も腰椎《ようつい》カリエスで、意志を喪《うしな》った風景のなかを死んでいった。そこでは、たくさんの虫が一匹の死にかけている虫の周囲に集まって悲しんだり泣いたりしていた。そして彼らの二人ともが、土に帰る前の一年間を横たわっていた、白い土の石膏《せっこう》の床からおろされたのである。
――どうして医者は「今の一年は後の十年だ」なんて言うのだろう。
堯はそう言われたとき自分の裡に起こった何故か跋《ばつ》の悪いような感情を想い出しながら考えた。
――まるで自分がその十年で到達しなければならない理想でも持っているかのように。どうしてあと何年経てば死ぬとは言わないのだろう。
堯の頭には彼にしばしば現前する意志を喪った風景が浮かびあがる。
暗い冷たい石造の官衙《かんが》の立ち並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうか賑《にぎ》やかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、疎《まば》らな街燈の透視図。――その遠くの交叉路《こうさろ》には時どき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。
穉《おさな》い堯は捕鼠器《ほそき》に入った鼠を川に漬けに行った。透明な水のなかで鼠は左右に金網を伝い、それは空気のなかでのように見えた。やがて鼠は網目の一つへ鼻を突っ込んだまま動かなくなった。白い泡が鼠の口から最後に泛《うか》んだ。……
堯《たかし》は五六年前は、自分の病気が約束している死の前には、ただ甘い悲しみを撒《ま》いただけで通り過ぎていた。そしていつかそれに気がついてみると、栄養や安静が彼に浸潤した、美食に対する嗜好《しこう》や安逸や怯懦《きょうだ》は、彼から生きていこうとする意志をだんだんに持ち去っていた。しかし彼は幾度も心を取り直して生活に向かっていった。が、彼の思索や行為はいつの間にか佯《いつわ》りの響をたてはじめ、やがてその滑らかさを失って凝固した。と、彼の前には、そういった風景が現われるのだった。
何人もの人間がある徴候
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