る山のこちら側が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば頃私はよく山を蔽《おお》った杉林から山火事のような煙が起こるのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯《ガス》体のような若芽に煙っていた欅《けやき》や楢《なら》の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌《た》けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている椎《しい》の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識《しらずしらず》そのなかへ吸い込まれて行った。湧き出て来る雲は見る見る日に輝いた巨大な姿を空のなかへ拡げるのであった。
それは一方からの尽きない生成とともにゆっくり旋回していた。また一方では捲きあがって行った縁《へり》が絶えず青空のなかへ消え込むのだった。こうした雲の変化ほ
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