という気持に打たれた。
 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人があった。
 峻がここへ来る時によく見る、亭《ちん》の中で昼寝をしたり海を眺めたりする人がまた来ていて、今日は子守娘と親しそうに話をしている。
 蝉取竿《せみとりざお》を持った子供があちこちする。虫籠を持たされた児《こ》は、時どき立ち留まっては籠の中を見、また竿の方を見ては小走りに随《つ》いてゆく。物を言わないでいて変に芝居のようなおもしろさが感じられる。
 またあちらでは女の子達が米つきばった[#「米つきばった」に傍点]を捕えては、「ねぎさん米つけ、何とか何とか」と言いながら米をつかせている。ねぎさん[#「ねぎさん」に傍点]というのはこの土地の言葉で神主《かんぬし》のことを言うのである。峻《たかし》は善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばった[#「ばった」に傍点]が、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気《のんき》なものに思い浮かんだ。
 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光を羽根一ぱいに負い
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