身をひそめてじっとしてしまう。「俺《おれ》は石だぞ。俺は石だぞ。」と念じているような気持で少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓《たに》の石と見わけにくい色をしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の蔭から河鹿がそろそろと首を擡《もた》げはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから――それが皆申し合わせたように同じぐらいずつ――恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼らは等しく恐怖をやり過ごした体で元のところへあがって来る。今度は私の一望の下に、余儀ないところで中断されていた彼らの求愛が encore されるのである。
こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童《かっぱ》の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然《こつぜん》としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるの
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