ッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体《からだ》は火照《ほて》り出し、そして眼が冴《さ》える。ただ妄想《もうそう》という怪獣の餌食《えじき》となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。
 どの家も寐静まっている。時どき力のない咳《せき》の音が洩《も》れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売も辛《つら》いらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見てもらえというのにどうしても聴《き》かない。この咳はそんな咳じゃないと云って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。――家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦いである。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記情のなかに呼び起す。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもがみずから絶望し、みずから死ななければならないのだろう。
 魚屋が咳《せ》いて
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