交尾
梶井基次郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蝙蝠《こうもり》が
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一度|河鹿《かじか》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)声[#「声」に傍点]を
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その一
星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠《こうもり》が飛んでいる。その姿は見えないが、瞬間瞬間光を消す星の工合から、気味の悪い畜類の飛んでいるのが感じられるのである。
人びとは寐《ね》静まっている。――私の立っているのは、半ば朽ちかけた、家の物干し場だ。ここからは家の裏横手の露路を見通すことが出来る。近所は、港に舫《もや》った無数の廻船《かいせん》のように、ただぎっしりと建て詰《こ》んだ家の、同じように朽ちかけた物干しばかりである。私はかつて独逸《ドイツ》のペッヒシュタインという画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷り物を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところで跪《ひざまず》いて祈っているキリストの絵像であった。その連想から、私は自分の今出ている物干しがなんとなくそうしたゲッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体《からだ》は火照《ほて》り出し、そして眼が冴《さ》える。ただ妄想《もうそう》という怪獣の餌食《えじき》となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。
どの家も寐静まっている。時どき力のない咳《せき》の音が洩《も》れて来る。昼間の知識から、私はそれが露路に住む魚屋の咳であることを聞きわける。この男はもう商売も辛《つら》いらしい。二階に間借りをしている男が、一度医者に見てもらえというのにどうしても聴《き》かない。この咳はそんな咳じゃないと云って隠そうとする。二階の男がそれを近所へ触れて歩く。――家賃を払う家が少なくて、医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦いである。突然に葬儀自動車が来る。誰もが死んだという当人のいつものように働いていた姿をまだ新しい記情のなかに呼び起す。床についていた間というのは、だからいくらもないのである。実際こんな生活では誰でもがみずから絶望し、みずから死ななければならないのだろう。
魚屋が咳《せ》いて
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