|凍《じ》み、その匂いには憶《おぼ》えがあった。
 ひと月ふた月経った。日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父母や兄弟の顔が、これまでになく忌《いま》わしい陰を帯びて、彼の心を紊《みだ》した。電報配達夫が恐ろしかった。
 ある朝、彼は日当《ひあたり》のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は彼の幼時からの記憶につながれていた。同じ切れ地で夜具ができていたのだった。――日なた[#「なた」に傍点]の匂いを立てながら縞目《しまめ》の古りた座布団は膨れはじめた。彼は眼を瞠《みは》った。どうしたのだ。まるで覚えがない。何という縞目だ。――そして何という旅情……

 以前住んだ町を歩いて見る日がとうとうやって来た。彼は道々、町の名前が変わってはいないかと心配しながら、ひとに道を尋ねた。町はあった。近づくにつれて心が重くなった。一軒二軒、昔と変わらない家が、新しい家に挾まれて残っていた。はっと胸を衝《つ》かれる瞬間があった。しかしその家は違っていた。確かに町はその町に違いなかった。幼な友達の家が一軒あった。代が変わって友達の名前になっていた。台所から首を
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