質の不可侵性を無視して風景のなかに滲透してゆく、若しくは同一の空間に二個の系統の風景の共存する。
 また高い天蓋の隙間から幾つもの偶然を貫いて陰濕な叢《くさむら》へ屆いて來る木洩《こも》れ陽《び》は掌のやうな小宇宙を寫し出した。しかし木洩れ陽程氣まぐれなものはない。それら小宇宙の靜かな悲しさにも拘らず鬼火のやうに、あすこに燃えてゐたかと思へばもうこゝに消えてゐるのだ。
 この徑を歩いて來ると私の心は何時とはなく靜まる。へんに靜まつて來る。太陽は空にたゆまない飛翔を續けてゐる。自然はその直射を身體一ぱいにうけてゐる。その外界のありさまが遠い祭りのやうに思ひなされる。
 すると私は幽かな物音を耳にするのだ。音といふものは、それが遠くなり杳《はる》かになると共に、カスタネツトの音も車の轣轆《れきろく》も、人の話聲も、なにもかもが音色を同じくしてゆく。其處では健全な聽覺でも錯覺にひきこまれ、遠近法を失つてしまふ。そしてあたりに氣がついて見れば、其處が既に今まで音の背景としてゐた靜けさといふ渺々とした海だといふことに氣がつく。
 その徑にきこえて來る幽かな音にしてもさうだ。私はそれを私の心のなか
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