なつてすでに影になつてしまつた街道を歩いてゐて、家と家との間から、また暗い家のなかに開いてゐる裏木戸から、この一帶の平地をちらと見た時程平和な氣持のするときはない。
 その雲はその平地の上に懸つてゐた。平地のはての雜木山には絶えず時鳥《ほととぎす》が鳴いてゐた。目に見えて動くものはない。たゞ山の麓に水車が光つてゐたばかりだつた。
 私は其處から眼を轉じて溪向ふの杉山の上を眺めた。その山のこちら側はすつかり午後の日影のなかにあつた。青空が透いて見えるやうな薄い雲が絶えずその上から湧いて來た。
 次へ次へ出て來る雲は上層氣流に運ばれながら、そして自ら徐《おもむ》ろに旋※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しながら、私の頭の上を流れて行つた。緩い渦動に絶えず形を變へながら、青空のなかへ、卷きあがつてゆく縁を消しながら。
 ――それはちやうど意識の持續を見てゐるやうだつた。それを追ひつ迎へつしてゐるうちに私はある不思議な現象を發見した。それはそれらの輕い雲の現はれて來る來方《きかた》だつた。それは山と空とが噛み合つてゐる線を直ちに視界にはいつて來るのではなかつた。彼等の現はれるのはその線か
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