を持ってゆかなければならない。月夜というものは提灯の要《い》らない夜ということを意味するのだ。――こうした発見は都会から不意に山間へ行ったものの闇を知る第一|階梯《かいてい》である。
 私は好んで闇のなかへ出かけた。溪ぎわの大きな椎《しい》の木の下に立って遠い街道の孤独の電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を跳めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを知った。またあるところでは溪の闇へ向かって一心に石を投げた。闇のなかには一本の柚《ゆず》の木があったのである。石が葉を分けて戞々《かつかつ》と崖へ当った。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂いが立ち騰《のぼ》って来た。
 こうしたことは療養地の身を噛むような孤独と切り離せるものではない。あるときは岬の港町へゆく自動車に乗って、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄された。深い溪谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けて来るにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えて来た。彼らは私のいるのも知らないで話し出した。
「おい。いつまで俺達はこんなことをしていなきゃならない
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