薊《あざみ》を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安堵《あんど》がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮かべるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出してみればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかしちょっと気を変えて呑気《のんき》でいてやれと思うと同時に、その暗闇は電燈の下では味わうことのできない爽《さわ》やかな安息に変化してしまう。
深い闇のなかで味わうこの安息はいったいなにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如《いちにょ》になってしまった――それがこの感情なのだろうか。
私はながい間ある山間の療養地に暮らしていた。私はそこで闇を愛することを覚えた。昼間は金毛の兎が遊んでいるように見える谿《たに》向こうの枯萱山《かれかややま》が、夜になると黒ぐろとした畏怖《いふ》に変わった。昼間気のつかなかった樹木が異形《いぎょう》な姿を空に現わした。夜の外出には提灯《ちょうちん》
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