一歩一歩海へ近づいて行くのです。影の方の彼はついに一箇の人格を持ちました。K君の魂はなお高く昇天してゆきます。そしてその形骸は影の彼に導かれつつ、機械人形のように海へ歩み入ったのではないでしょうか。次いで干潮時の高い浪がK君を海中へ仆《たお》します。もしそのとき形骸に感覚が蘇《よみが》えってくれば、魂はそれと共に元へ帰ったのであります。
[#天から2字下げ]哀れなるかな、イカルスが幾人も来ては落っこちる。
K君はそれを墜落と呼んでいました。もし今度も墜落であったなら、泳ぎのできるK君です。溺れることはなかったはずです。
K君の身体は仆《たお》れると共に沖へ運ばれました。感覚はまだ蘇えりません。次の浪が浜辺へ引き摺《ず》りあげました。感覚はまだ帰りません。また沖へ引き去られ、また浜辺へ叩きつけられました。しかも魂は月の方へ昇天してゆくのです。
ついに肉体は無感覚で終わりました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の翻弄《ほんろう》を委《ゆだ》ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔《ひしょう》し去ったのであります。
底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫
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