に鳴っているように思えた。アイスクリーム屋の声も、歌をうたう声も、なにからなにまで。
 小婢《こおんな》の利休の音も、すぐ表ての四条通ではこんなふうには響かなかった。
 喬は四条通を歩いていた何分か前の自分、――そこでは自由に物を考えていた自分、――と同じ自分をこの部屋のなかで感じていた。
「とうとうやって来た」と思った。
 小婢が上って来て、部屋には便利炭の蝋《ろう》が匂った。喬は満足に物が言えず、小婢の降りて行ったあとで、そんなすぐに手の裏返したようになれるかい、と思うのだった。
 女はなかなか来なかった。喬は屈託した気持で、思いついたまま、勝手を知ったこの家の火の見へ上って行こうと思った。
 朽ちかけた梯子《はしご》をあがろうとして、眼の前の小部屋の障子が開いていた。なかには蒲団が敷いてあり、人の眼がこちらを睨《にら》んでいた。知らぬふりであがって行きながら喬は、こんな場所での気強さ、と思った。
 火の見へあがると、この界隈《かいわい》を覆っているのは暗い甍《いらか》であった。そんな間から所どころ、電燈をつけた座敷が簾《すだれ》越しに見えていた。レストランの高い建物が、思わぬところから頭を出していた。四条通はあすこ[#「あすこ」に傍点]かと思った。八坂神社の赤い門。電燈の反射をうけて仄《ほの》かに姿を見せている森。そんなものが甍《いらか》越しに見えた。夜の靄が遠くはぼかしていた。円山、それから東山《ひがしやま》。天の川がそのあたりから流れていた。
 喬《たかし》は自分が解放されるのを感じた。そして、
「いつもここへは登ることに極めよう」と思った。
 五位が鳴いて通った。煤《すす》黒い猫が屋根を歩いていた。喬は足もとに闌《すが》れた秋草の鉢を見た。
 女は博多から来たのだと言った。その京都言葉に変な訛りがあった。身嗜《みだしな》みが奇麗で、喬は女にそう言った。そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出て※[#「つつみがまえ」の中に「タ」]々《そうそう》だのに、先月はお花を何千本売って、この廓《くるわ》で四番目なのだと言った。またそれは一番から順に検番に張り出され、何番かまではお金が出る由言った。女の小ざっぱりしているのはそんな彼女におかあはん[#「おかあはん」に傍点]というのが気をつけてやるのであった。
「そんなわけやでうち[#「うち」に傍点]も一生懸命にや
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