の腫物のなかへ、ちょうど釦《ボタン》を嵌《は》めるようにして嵌め込んでいった。夢のなかの喬はそれを不足そうな顔で、黙って見ている。
一対《つい》ずつ一対ずつ一列の腫物は他の一列へそういうふうにしてみな嵌まってしまった。
「これは××博士の法だよ」と母が言った。釦の多いフロックコートを着たようである。しかし、少し動いてもすぐ脱《はず》れそうで不安であった。――
何よりも母に、自分の方のことは包み隠して、気強く突きかかって行った。そのことが、夢のなかのことながら、彼には応《こた》えた。
女を買うということが、こんなにも暗く彼の生活へ、夢に出るまで、浸《し》み込んで来たのかと喬は思った。現実の生活にあっても、彼が女の児の相手になっている。そしてその児が意地の悪いことをしたりする。そんなときふと邪慳《じゃけん》な娼婦は心に浮かび、喬《たかし》は堪《たま》らない自己|嫌厭《けんお》に堕《お》ちるのだった。生活に打ち込まれた一本の楔《くさび》がどんなところにまで歪《ひずみ》を及ぼして行っているか、彼はそれに行き当るたびに、内面的に汚れている自分を識《し》ってゆくのだった。
そしてまた一本の楔、悪い病気の疑いが彼に打ち込まれた。以前見た夢の一部が本当になったのである。
彼は往来で医者の看板に気をつける自分を見出すようになった。新聞の広告をなにげなく読む自分を見出すようになった。それはこれまでの彼が一度も意識してした事のないことであった。美しいものを見る、そして愉快になる。ふと心のなかに喜ばないものがあるのを感じて、それを追ってゆき、彼の突きあたるものは、やはり病気のことであった。そんなとき喬は暗いものに到るところ待ち伏せされているような自分を感じないではいられなかった。
時どき彼は、病める部分を取出して眺めた。それはなにか一匹の悲しんでいる生き物の表情で、彼に訴えるのだった。
三
喬はたびたびその不幸な夜のことを思い出した。――
彼は酔っ払った嫖客《ひょうきゃく》や、嫖客を呼びとめる女の声の聞こえて来る、往来に面した部屋に一人坐っていた。勢いづいた三味線や太鼓の音が近所から、彼の一人の心に響いて来た。
「この空気!」と喬《たかし》は思い、耳を欹《そばだ》てるのであった。ゾロゾロと履物《はきもの》の音。間を縫って利休が鳴っている。――物音はみな、あるもののため
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