消散したり凝聚《ぎょうしゅう》したりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そしてある瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂鬱であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。
喬《たかし》は彼の心の風景をそこに指呼することができる、と思った。
二
どうして喬がそんなに夜更けて窓に起きているか、それは彼がそんな時刻まで寝られないからでもあった。寝るには余り暗い考えが彼を苦しめるからでもあった。彼は悪い病気を女から得て来ていた。
ずっと以前彼はこんな夢を見たことがあった。
――足が地脹《じば》れをしている。その上に、噛《か》んだ歯がた[#「がた」に傍点]のようなものが二列《ふたなら》びついている。脹れはだんだんひどくなって行った。それにつれてその痕《あと》はだんだん深く、まわりが大きくなって来た。
あるものはネエヴルの尻のようである。盛りあがった気味悪い肉が内部から覗《のぞ》いていた。またある痕は、細長く深く切れ込み、古い本が紙魚《しみ》に食い貫《ぬ》かれたあとのようになっている。
変な感じで、足を見ているうちにも青く脹れてゆく。痛くもなんともなかった。腫物《はれもの》は紅い、サボテンの花のようである。
母がいる。
「あああ。こんなになった」
彼は母に当てつけの口調だった。
「知らないじゃないか」
「だって、あなたが爪でかた[#「かた」に傍点]をつけたのじゃありませんか」
母が爪で圧したのだ、と彼は信じている。しかしそう言ったとき喬《たかし》に、ひょっとしてあれじゃないだろうか、という考えが閃《ひらめ》いた。
でも真逆《まさか》、母は知ってはいないだろう、と気強く思い返して、夢のなかの喬は
「ね! お母さん!」と母を責めた。
母は弱らされていた。が、しばらくしてとうとう
「そいじゃ、癒《なお》してあげよう」と言った。
二列の腫物《はれもの》はいつの間にか胸から腹へかけて移っていた。どうするのかと彼が見ていると、母は胸の皮を引張って来て(それはいつの間にか、萎《しぼ》んだ乳房のようにたるんでいた)一方の腫物を一方
前へ
次へ
全9ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング