った。
川向うの道を徒歩や車が通っていた。川添の公設市場。タールの樽《たる》が積んである小屋。空地では家を建てるのか人びとが働いていた。
川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺《しわ》になった新聞紙が押されて行った。小石に阻《はば》まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ転ると、また運ばれて行った。
二人の子供に一匹の犬が川上の方へ歩いて行く。犬は戻って、ちょっとその新聞紙を嗅《か》いで見、また子供のあとへついて行った。
川のこちら岸には高い欅《けやき》の樹が葉を茂らせている。喬《たかし》は風に戦《そよ》いでいるその高い梢《こずえ》に心は惹《ひ》かれた。ややしばらく凝視《みい》っているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢に棲《とま》り、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ青い枝と共に撓《たわ》んでいるのが感じられた。
「ああこの気持」と喬は思った。「視《み》ること、それはもうなにか[#「なにか」に傍点]なのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」
喬はそんなことを思った。毎夜のように彼の坐る窓辺、その誘惑――病鬱や生活の苦渋が鎮められ、ある距《へだた》りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。
「街では自分は苦しい」
北には加茂の森が赤い鳥居を点じていた。その上に遠い山々は累《かさな》って見える。比叡山――それを背景にして、紡績工場の煙突が煙を立登らせていた。赤|煉瓦《れんが》の建物。ポスト。荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力《ばりき》が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。
五
喬《たかし》は夜更けまで街をほっつき歩くことがあった。
人通りの絶えた四条通は稀《まれ》に酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はアスファルトの上までおりて来ている。両側の店はゴミ箱を舗道に出して戸を鎖《とざ》してしまっている。所どころに嘔吐《へど》がはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。
新京極に折れると、たてた戸の間から金盥《かなだらい》を持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の
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