夜更けを見せている。昼間は雑閙《ざっとう》のなかに埋れていたこの人びとはこの時刻になって存在を現わして来るのだと思えた。
新京極を抜けると町はほんとうの夜更けになっている。昼間は気のつかない自分の下駄の音が変に耳につく。そしてあたりの静寂は、なにか自分が変なたくらみを持って町を歩いているような感じを起こさせる。
喬は腰に朝鮮の小さい鈴を提《さ》げて、そんな夜更け歩いた。それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。銀の地に青や赤の七宝がおいてあり、美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、彼の心の象徴のように思えた。
ここでも町は、窓辺から見る風景のように、歩いている彼に展《ひら》けてゆくのであった。
生まれてからまだ一度も踏まなかった道。そして同時に、実に親しい思いを起こさせる道。――それはもう彼が限られた回数通り過ぎたことのあるいつもの道ではなかった。いつの頃から歩いているのか、喬《たかし》は自分がとことわの過ぎてゆく者であるのを今は感じた。
そんな時朝鮮の鈴は、喬の心を顫《ふる》わせて鳴った。ある時は、喬の現身《うつせみ》は道の上に失われ鈴の音だけが町を過るかと思われた。またある時それは腰のあたりに湧《わ》き出して、彼の身体の内部へ流れ入る澄み透った溪流のように思えた。それは身体を流れめぐって、病気に汚れた彼の血を、洗い清めてくれるのだ。
「俺はだんだん癒《なお》ってゆくぞ」
コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに顫わせた。
六
窓からの風景はいつの夜も渝《かわ》らなかった。喬にはどの夜もみな一つに思える。
しかしある夜、喬は暗《やみ》のなかの木に、一点の蒼白《あおじろ》い光を見出した。いずれなにかの虫には違いないと思えた。次の夜も、次の夜も、喬はその光を見た。
そして彼が窓辺を去って、寝床の上に横になるとき、彼は部屋のなかの暗にも一点の燐光《りんこう》を感じた。
「私の病んでいる生き物。私は暗闇のなかにやがて消えてしまう。しかしお前は睡らないでひとりおきているように思える。そとの虫のように……青い燐光を燃《もや》しながら……」
底本:旺文社文庫『檸檬・ある心の風景』
1972(昭和47)年12月10日初版発行
1974(昭和49)年第4刷
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