はない文字の遊戲と思はれてゐたものが、強い實感を現すための新しい手段と見直せるやうになつた。それでもなほ得心のゆかぬ個所もある。それは作者と私との趣味の相違や、私の讀み方の不足や、作者の技巧の未完成が混り合つて原因してゐるのであらうが、そんな個所は末梢的であつて、何よりも私はこの作品を貫いてゐる作者のまともな精神に觸れて心強く思つた。そして「冬の切線」や「明日」を讀み直したのであるが、そんなものと比較して細いことを書き度いと思つてゐたが、時間が切迫したため何時かの機會に讓ることにする。
早春の蜜蜂 (尾崎一雄氏)
全篇清新な筆觸で書かれてゐる。殊に蜜蜂の描寫、八年前の或る朝の記憶は秀れてゐる。然し讀み終つてなにか物足らぬ感じがある。それは各部分が秀れた描寫であるに拘らず、それを緊めくゝるものが稀薄なせいである。二年前の短篇に於ても蜜蜂と妹の死との間にはつながりの必然性がない。二年前と今との氣持の相違を書いて後半の追憶に移るのは自然ではあるが積極的な意味を持つてゐる譯ではない。然し最後にK子の死を敍したあと不吉な二月、それに關聯して再び蜜蜂のことへかへつて來たのは首尾照應
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