出ることになつた。同人はその劇研究會の中谷、外村、小林、それに私、そこへ中谷が獨文科の忽那吉之助を連れて來て五人、も一人それも中谷の友人で今鏘々とした新進歌人の稻森宗太郎が早稻田から加はつた。當時同人雜誌はまだ實に少ないものであつた。大學では小方又星、伊吹武彦、淺野晃、飯島正、大宅壯一、それに一高の連中がやつてゐた「新思潮」が漸く出はじめた頃で、慶應からは「青銅時代」「葡萄園」――「辻馬車」や早稻田の「主潮」などは私の記憶に間違ひがなければ「青空」よりも遲れてゐた。今の「新思潮」は當時の「新思潮」が潰れてから出たので勿論「青空」よりはあとである。思へばその時分が同人雜誌氾濫のはじまりであつた。
 その後間もなく私達のなかへは、私達のあと三高で劇研究會を維持してゐた、淀野隆三、淺沼喜實、北神正の三人が、東京へ出て來たので加はり、次いで飯島正や三好達治、北川冬彦の二詩人參加し、三年目にやはり劇研究會からの龍村謙が來、「青空」は年を追つて益々人を殖した。稀に例外があつたが、みな三高から、それも劇研究會からはひつて來たのである。そのほかにも同人を擧げなければ「青空」についての全體は語られないが
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