れた言葉でも明かだが、失つた記憶が生き返つて來るのはこんな風に全然他力で偶然で、そんな偶然が生涯にいくらあることか、われわれはそんな偶然をすつかり逃してしまはないために際限もなく待つてゐるといふ譯にはいかないので、次には死といふもう一つの偶然が僕達をさらつていつてしまふと感慨を洩らしてゐる所など、いかにも過去の思ひ出のみに生きたプルウストらしく僕達の感慨を強ひるのだ。しかしこれはまた一方、題材を狹い心内の世界に限りながら何册もの大作を書いたプルウストの意氣込みとも見ていいので、彼がどんなに尻を落付けてこの回想を綴らうとしてゐるかがわかるのだ。實際プルウストの尻の落ち付け方はたいしたもので、例へば「自分は叔父の以前ゐた部屋の方へ歩いて行つた」と書くとすると次はその叔父さんのことになり、芝居のことになり、女優のことになり、僕達がもう夙つくに前のひつかかりを忘れてしまつた頃になつてひよつくりまた部屋のことに歸つて來るといふ風で、讀む方でもよほどさういふところを氣をつけて讀まないとコンテイニユイテイを失つてしまつて面白くなくなつてしまふ。しかしまあ全體の構成がさういふ風にして出來てゐるので、そ
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