な過去によつてプルウストは書いてゐるのだ。
その前をもう少し出して來ると――
「私はあのケルト民族の信仰を非常に尤ものことと思ふ。それは、われわれの失つた人の魂が何か下等なもの、獸類とか、植物とか、無生物とかのなかに閉ぢ籠められてゐて、われわれがその木の傍を通るとか、その魂の捕へられてゐる物を所有するとかいふ日が來るまでは、(多くの魂にとつては、さういふ日は決して來ないのだが、)實際その魂はわれわれに失はれてゐる。その日が來ると魂は顫へ、われわれを呼ぶ、そしてわれわれがそれを認めると直ぐに、咒縛は破れるのだ。われわれによつて自由にされた魂は死を征服して、われわれの許に歸つて一緒に生きるといふのである。われわれの過去についてもこれと同樣である。」
プルウストは過去といふものをこのやうに考へてゐる。またこのやうな考へから導き出されて來た方法はこの小説の全部に浸みわたつてゐて、どのやうに微細な感情のニユアンスでも彼は掴まへて來て生命を與へる。それによつて僕達はさきほども云つた經驗を二度繰返す切ない思ひにとらはれるのだ。
プルウストのこのやうな考へ方は「失ひし時を索めて」と表題の脇に記さ
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