一言――といふよりは、よく見てくれるもののないのが、わたしの注意をひいた。若い男女の畫家もそのなかにはあつたが――
氣忙しいのだ――と、よい方に思ひやつても、机の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りにちらばつてゐる寫眞などには眼がゆくが、床の間まではのびない。すぐ傍にある鏡餅《おそなへ》は大きなものだ、尺だらうといつた人は二三人ある、それは新舊の女流作家だつたが、シヤガールまではとどかなかつた。
現實性のものへ――ごくよく解譯して、そんなふうに、現實性のものへ眼を奪はれるので、繪の方は見逃されたのだと思はうとしたが、シヤガールのこの裸繪の女は、なかなかもつて、躍動してゐるのだ、色こそ着いてゐないが、生ききつて、健《すこ》やかなること六月の若木の樹體のなめらかさと強靱さが充ちきつてゐる。
ふと、おお、これだと考へついた。この香ぐはしく、のびやかなる肢體に、同性は目をそらすのだ。それは惡意あつてではない、めづらしくないのだ。その、繪のよさも描かれた繪畫よりも前に――といふより、もつと早く、直覺的に知つてしまふのだ。それは意識するとせぬとにかかはらず、觀賞よりもさきに、女の裸と
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