つづいてゐる。その後が後庭で、畠をつくつてゐた。かう書くと、門の兩側がせまく小汚らしげだが、どういたして、石疊に楊柳の花が散り、厨司の小屋かと思ふ垣根には、ライラツクの花がにほつてゐる風情だ。
 ある日、厨司が一週間分の賄費を、買物の帳面を持つてとりに來た。
 葱一本、牛肉拾錢と、ちらと讀んだ私はその人たちの買もの帳だと思つた。それにしても葱一本とは――
 すると妹が説明した。びつくらしたでせう、ほんとに、支那人、えらいのよ、厨司たちは毎朝買出しに行くのに、主人自慢でありながら買ものはちつともむだをしないで、およそ一日に一人分幾錢といつて賄ふのよ、と。
 妹の家の厨司は腕利きで、今までにもよい主人ばかりをもつてゐた。彼は、日本料理も得意だ。おさしみでも、椀盛りでも震災後の東京なら、流行する店の味と違はない位だつた。夫人《おくさん》、日本へ行つたら、こんな風なさしみ皿買つて來て下さい、といふふうだ。お茶受けには鮨をつくり、汁粉をつくる。しかもお國料理はもとより、ふらんす料理も立派にやる。それで月給は二十圓、女房が女中をしてゐて別に五圓の手當。これは例外によい價ださうで、たいがいの家では、拾圓十五圓といふのを使つてゐる。
 いいえ、食事は自分たちでするのですよ、あたしも來た當座、びつくらしてしまつて、それぢや、なんぼなんでも、一流といつても好い職人に、あんまり氣の毒だと思つたら、古くから在住するかたに、別なことをすると、他の者が、困るといはれましたの、と妹はいつた。
 賄《まかな》ひつてどの位? ときくと、さあ、お客樣がいらしつたから、一圓五十錢にもしたかしら、それとも一圓かしら? 大概三十五錢から、四十錢だと上等なのです。
 一食ではない、もとより一日分三度、一汁五菜、二汁三菜位はつけるといふ。しかもおやつまで入れ、煎茶の代もはいつてゐるといふのだから驚いてしまつた。
 大概この他《ほか》に、看門的といふ門番が居る。月給から話すと、東京と別にたいした違ひはないやうだが、彼等はみな、各自の小屋で自炊なのだから、主人の臺所の經費は甚しく輕い。
 もすこしそれらのことを、短い日に見た、在留邦人のくらしかたではあるが、その居まはりの日常生活の見たままを、そのうちに書いて見よう。‥‥
[#地から2字上げ](「文藝春秋」昭和十二年十一月)



底本:「桃」中央公論社
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