家附きの令夫人でなく、世間の評判のよくない物持ちなどの家に、あからさまに金で買われたように余儀なく嫁入りした女などの上の出来ごとであったならば、おなじ出来事をも、もすこし冷静に、正当な批判を下したであろう。
そうはいえ、事柄《ことがら》もむずかしかった。恋愛至上主義者も、この事件について、一家言《いっかげん》をたてるものも、家庭にあって、子女を前にしては、説が矛盾するといった。世論は紛々《ふんぷん》として、是非いずれにか結着をつけさせないではおかない勢いであった。婦人雑誌は争ってその論説を掲げた。高級雑誌でも、社会風教、道徳思潮について、然《しか》るべき人の説を載せた。婦人附録のある新聞では、主に女子教育に携わる、学校教育者の説を多く集めた。ましてそういう、世の耳目に触れた記事を、取り入れないではおかない種類では、雑俳《ざっぱい》に、川柳《せんりゅう》に、軽口《かるくち》に、一口噺《ひとくちばなし》に逃《のが》しはしなかった。昔の瓦版《かわらばん》の読売が進化したようなもので、それでも小説と銘を打った、低級な小本には「千葉心中」と、あからさまな題名をつけて、低級な読者を唆《そその》か
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