饑《うえ》をさとらなかった親子の間には、今までには酌《く》めなかったものであったかも知れない。子を信仰に導くために親も天理教の信徒となり帰依することを誓った。
けれども、それだけで彼女の心に慰安があったか? 絶対に秘密をまもり、彼女の動作については、何一つ外部《そと》へ知らせまいとしても、そう容易《たやす》く意地悪な世人が忘れようとしない。下渋谷宝泉寺内の隠れ家《が》も、
「姦婦《かんぷ》鎌子ここにあり、渋谷町の汚れ立|退《の》け」
と張札《はりふだ》をして、酒屋、魚屋、八百屋連の御用聞《ごようきき》たちが往来のものに交って声高《こわだか》に罵《ののし》りちらして、そこにもいたたまれないようにさせたが、やがてその侘住居《わびずまい》も戸を閉《し》めてしまった。釘《くぎ》づけにされた主なき空家《あきや》の庭には、真紅のダリヤが血の色に咲きみだれて残るばかりであった。
彼女はやがて鎌倉辺に暑さと人目を避けていると噂されたが、その年の暮に、弱まりきった身を抱《かか》えられて、思出の多い過去の家へと引取られた。彼女は家出をした家へ帰らなければならない運命に遭遇した。除籍された家へ、離別した
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