え締切ってしまった。それは老伯の昔気質《むかしかたぎ》から出た自ら閉門謹慎の意であったか、それとも世人の乱暴をおそれてであったかは知れなかった。尤《もっと》もそののち下渋谷《しもしぶや》の近くの寮に鎌子が隠れ住むという風説が立つと、物見高い閑人《ひまじん》たちはわざわざ出かけていって、その構えの垣の廻りをうろついていた。何のためにそうするのかは、うろついていた人たちにもわかるまいが、そうした煩わしさは彼女をいつまでも執拗《しつよう》なくらいにゆるさなかった。
そうなってからの鎌子は、やっぱり病院にいた時通り、すこしも倉持の消息を知らなかったかどうだかは疑問である。とはいえ、もの憂《う》き月日であった事は察しられる。父の老伯は彼女を信仰によって復活させようとした。初夏の六月の上旬、あわれな親心は不幸な娘を伴って、本所《ほんじょ》外手町に天理教の教会をおとずれた。父親の温かい愛は、慈悲と慈愛をもって、幼女を抱いてゆくように保護していった。そんな優しい心持ちの湧《わき》だすのを老伯自身さえ不思議に思ったほどであろう。深い悲しみにあってはじめて知る親と子の融合は、物質に不足のないだけで、心の
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