かけた。健康な肉体が精神のいたみに負けず恢復《かいふく》していった。彼女として、その後をどうしようかと迷わぬ訳にはゆかなかったであろうが、芳川家にとってもそれはかなりの難問題であったに違いない。一日近親の者は寄集《よりあつま》って協議をこらした。そして結果は伯爵家を除籍して別家させなければなるまいという事になった。それから鎌子は世間から憎まれているゆえ、全治退院ということが洩れたならば、どういう暴行にあいもしかねないからというので、退院はごく秘密にし、加養する彼女の住居も、充分世間へ洩れぬことにしなければならないという事に協議はまとまった。
 ある夜二台の自動車は千葉病院へそっと横附けにされた。白い毛布に包みかくされて、自動車へ運びこまれたのは彼女であった。それを見て、直に新聞記者たちの幾台かの自動車も追駈《おいか》けて走ったが、東京へはいると突然、間を遮《さえぎ》る自動車が飛出して来て、目的通りに邪魔を入れてしまった。けれども彼女が青山の実姉の家にはいったという事が知れた。その家では、まるで交通|遮断《しゃだん》とでもいうように表門には駒寄《こまよ》せまでつくって堅く閉じ、通用門をさ
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