間の心意はどんなであったろう。老後の悲劇である。明治維新のおり赤忠をもって贏《か》ち得た一切の栄誉は、すべてみな空《むな》しくされたものとなった。老後の栄職である枢密院の副議長の席も去らなければならなかった。彼の人は門戸を深く閉じて訪客を謝し、深く深く謹慎していた。そして一切弁解の辞を弄《もてあそ》ばなかった。この老伯のいたましい立場には、いかなものも同情せずにはいられなかった。誰れにもまして怒りも強かったであろうし、また悲しみも深かったであろうが、子の親である人のそうした場合には、明瞭《はっきり》と自分の不明であった事に頷《うなず》かなければならなかったであろう。そしてたしかに心の底には、何となく謝《あやま》りたい気持ち――対社会へではない、鎌子に謝りたい心持ちが湧《わ》いていたに違いないと思われる。それはあからさまに示されていた。
 鎌子の疵《きず》は癒《い》えかけた。その月の廿五日に倉持は郷里栃木県佐野町で、ささやかな葬儀が執行され、身寄りのない彼れの遺骨は、一滴の思いやりのある手向《たむけ》もうけないで土に埋められてしまった事を夢にも知らないで、その事を案じ悩みながらも疵は癒え
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