》などの下劣な芸人は白扇で額をたたいて卑狼《ひわい》な言葉を弄したりした。堕落した学生たちは「運転手になるのだっけ」というような言辞《ことば》をもてあそんで恥なかった。それよりも甚《はなはだ》しいのは、我身の魂でなければならないはずの妻にむかって、女性はみなかくあるものだというような、奇矯な言葉を費やして、自らの品性までも低めてかえり見ないものさえあった。いうまでもなく、その事件は、爪《つま》はじきをするのも余儀ない人妻の「心中事件」である。けれどもそれほど不倫の行為と厭《い》む人たちが、男女|相殺《そうさい》の恋愛の苦悩を述べ、歎き訴えるものには、同情を寄せるのはどうしたものだろう。浄るりに唄われ、劇化され、小説となってその道程《みちすじ》を語る時には納得し、正しく批評し、涙をもおしまない人たちが、何故《なぜ》現実のものに触れるとそうまで冷酷になるのであろう。それはいうまでもなく、芸術の高い価値はそこにあるとしても、私が不思議でならないことは、昨日あった事柄を報道するにあわせて、かくもあろうかとの推測を、その周囲からまとめあわせて、早速に初号活字にあてはめた、新聞記者の敏腕に信頼する
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