りも切ない懊悩《おうのう》があったはずである。私はそうだと独りできめてしまうのではないが、どうもこの心中は倉持から言出したものというように思われてしかたがない。無論前にもいう通り二人の恋愛関係がはじめから誤った姑息《こそく》な手段で、糊塗《ごまか》していた事が、因をなしたには違いないが――
その事についての道学者たちの争いもたいしたものであった。ある人は、
「死んでしまえばなんでもなかったのに」
といったり、彼女の母校であった学習院女学部の主事は、
「今までも他の学校よりは徳育に力を尽していたが、こんな出来ごとがあった以上、この後はなお一層その点を注意したい。ものも間違えば間違うものだ」
というような事を言ったりしたのは、家の自動車もやめてしまおうと、自分の最愛な細君へ警戒をしたという莫迦《ばか》らしさとおなじで、女流のなかでさすがに立派な意見だと頷《うなず》かれたのは、与謝野晶子《よさのあきこ》女史と平塚らいてう氏であった。山川菊栄《やまかわきくえ》女史はどういう風に見られたか、それは残念ながら私は見なかった。
らいてう氏は、
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……それと同時にあらゆる階
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