は、彼女も好んで迎えた人であり、五歳になる女の子をさえ儲《もう》けていた。夫に対する愛が、彼女にあれば――子を思う誠があれば――そうした間違いが、どうしてしでかされようかとは、誰人《たれ》も思うところであるし、寛治氏が妻を愛《いと》しむ心が深ければ、そうした欠陥が穿《うが》たれるはずはないとも思うことでもあるが、人間は生ているかぎり――わけても女性は感情に支配されやすい。そうした夫妻の間にすら、こんな事実が起ったのは、何からだと考えなければならない。
 信頼するに足りるその当時の記事を抜くと、最初は『東京朝日新聞』の千葉電話が、
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七日午後六時五十五分千葉発本千葉駅行単行機関車に、機関手中村辰次郎、火夫庄司彦太夫乗組み、県立女子師範学校側を進行中、年若き女飛び込み跳飛ばされ重傷を負ひしより、機関手は直に機関車を停《と》めたるに飛込み遅れたる同行の青年は斯《か》くと見るや直に同校の土堤に凭《よ》り蒐《かか》り様《ざま》短刀にて咽喉部を突きて打倒れたり。届出に依り千葉警察署より猪股《いのまた》警部補、刑事、医師出張|検屍《けんし》せるに、女は左頭部に深さ骨膜に達する重
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