傷を負ひ苦悶《くもん》し居り、男は咽喉部の気管を切断し絶息し居たり。女は直様《すぐさま》県立千葉病院に入院せしめたるが生命|覚束《おぼつか》なし。
赤靴を履《は》き頭髪を分けをり年頃二十六、七歳位運転手風の好男子なり、男の黒つぽき外套《がいとう》のかくしと女のお召コートの袂《たもと》には各々遺書一通あり、尚《なお》女のコートの袂には白鞘《しろさや》の短刀を蔵《かく》しあり。
右につき本社は各方面に向つて精探せし結果、婦人は麻布《あざぶ》区宮村町六七正二位勲一等伯爵枢密院副議長芳川顕正氏養子なる子爵曾禰安輔氏の実弟寛治氏の夫人鎌子(廿七)にして長女明子あり、男は同邸の自動車運転手倉持陸助(廿四)なることを突止めたり。
[#ここで字下げ終わり]
と記されている。そして各々の写真は各紙に大きく挿入されていた。それからそれへと手《た》ぐりだした記事がそれに続いていた。
家の者は一切を伯爵から口止めされたという事で、それについての面接はみんな前警保局長だった岡喜七郎氏が関《あず》かっている。その話によると、
[#ここから2字下げ]
「六日の夜八時頃倉持運転手が部屋で泣きながら酒を飲んでいるので
前へ
次へ
全40ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング