くものでない、自分自身すら、心が思うにまかせずかえって反対に逸《そ》れてゆくときのある事を知っている。であるから、推察はどこまでも推察にすぎないゆえ、独断は慎まなければならないと思っている。ことに複雑した心理の、近代人の、しかも気の変りやすい、動きやすい女性の心奥《こころ》の解剖は、とても、不可能であると思っている。
この鎌子夫人についても、私はその是非を論《あげつ》らうのでもなければ、その心理の解剖者となるのでもない。数奇の運命に弄《もてあそ》ばれた一人の美女を記すだけでよいのであるが、もし筆が不思議な方面へ走ったとすれば、その当時の、彼女へ対するあんまり同情のなかった言説が、何時か私に不満を感じさせていたのかも知れない。
ともかく此処《ここ》に、「いまわしいことのおこり」となった、ことのはじめにかえって記さなければならない。こうしたことに似た一字をでも書けば、この頃の純文芸の方面では非常な圧迫を受けるということであるが、これは連日公開の新聞紙上に載せられて、知れ渡った事実ゆえ、その災は受けないことであろうと思う。
二
鎌子夫人は伯爵|芳川顕正《よしかわあきま
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