まかそうと努めたのではあるまいか。家出のその夜まで良人《おっと》の寝床をとったり、寝巻をあたためたりして行ったのは、その関係がどこまでも形式的な虚偽的なもので僅《わずか》に保たれていたのだという見地から、夫人にはたとい夫があり子供があったとしてもまだ一度も愛の満足を得ていなかったという意味で、結婚したことのない婦人ともいえると説き、彼女の満《みた》されなかったもの、しかも外部の種々な圧迫のために抑制することを余儀なくされていた愛の要求が、純な愛情と若い燃えやすい情熱との所有主であるものに向いて動いていったことは自然の心理ではないか、赤裸《せきら》な人間の愛の真実の前に、他の一切を忘れて有頂天《うちょうてん》になったとしても無理もなく、論理的の立場から見ても、その結婚が全然第三者の意志によって強制されたものであるから、厳密にいえば夫人はその結婚に対して責任をもっていないのだ。その方法さえ誤らなければ、同時にそれを実行するだけの実力を備えていれば、出立点からして間違っていた結婚をただ単に継続することによって生きながら死者の生活を送るよりも、それを破壊する方がどれだけ論理的であるか知れないと言われた。
 そして明子《はるこ》氏はまたこう言っている。
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……夫人がその地位も名誉も、子供に対する愛も否その生命までも犠牲にして肯定しようとした愛は、世間の人たちが言うような単なる劣情のためではなく、夫人の現実の生活よりももっと真実な、もっと純な、もっと高い、そしてもっと美しい情操の世界に対する憧《あこが》れであったのだろうと思います。またこの愛は夫人の生涯における最初の経験であったと共に、夫人の現在の生活の中のただ一つの真実であったのだろうと思います。とはいえ夫人とてもいよいよ愛を肯定するまでには、色々な内心の争闘があったことでありましょう。……それにもかかわらずやはり最後には一切の虚偽を否定して彼女の世界のただ一つの真実を肯定したのでありましょう。夫人の教育は私がここで述べたようなはっきりとした意識を一々与えてはいなかったとしても、夫人の本能が夫人を真実なものにつかせたのであろうと思います
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とて、話が逸《そ》れるが、いつも男女間の愛とさえ言えば、すぐ劣情とか痴情とか言って暗々の裡《うち》に非難の声と共に葬り去ろうとする習慣を不快に
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